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INE to AGAVE 「クラフトサケ製造を軸に、男鹿のまちを未来に繋ぐ」 岡住修兵氏の講演を聞いて

不動産コンサルティング協会の研修にてあの「男鹿セイコーグランドホテル」へ

今回、訪れたのは男鹿セイコーグランドホテルという、秋田県男鹿半島にある歴史あるホテルの会場だった。
この男鹿は、なまはげ👹で有名な土地である。
あの「泣く子はいねが〜〜」である。
秋田に旅行する方や、県外の取引先の方から、この男鹿のホテルの話が出ていたが、私自信、生まれてから40年近く経ち、この地を訪れるのは初めてだった。
秋田市から車で約1時間10~20分程度。軽く日帰り旅行である。
今日は、不動産コンサルティング協会の研修で、あの クラフト酒 INE TO AGABE の岡住氏の演説が聞けるということで行ってきました!!

「クラフトサケ製造を軸に、男鹿のまちを未来に繋ぐ」岡住修兵氏の講演を聞いて

1988年、福岡県北九州市出身、神戸大学経営学部を卒業後、あの新政で酒造りを学んだという。
起業とは社会貢献である。
その理由は、起業することにより雇用を作ることができる。だから、社会貢献になる。
10年生き残れる企業は10%程度である。
岡住氏も新政のお酒に魅了され、新政を飲んだ居酒屋でFacebook からメッセージをしたところ
なんと佐藤社長からDMが来て、新政で働くことになったとのこと。
この話を聞くのは実は2回目である。
1回目は起業セミナーで、今回が2回目である。
改めて岡住氏の話を聞くと、ホリエモンの打席に立ち続けるを体現している。
頭の中で描く構想は誰にでもある。その中で、その構想を実現する。打席に立ち続ける。母数を上げる。

日本酒、新規免許「70年ゼロ」

具体的には、1949年(昭和24年)以降、日本酒の新規製造免許は一切発行されていないということです。
これは、日本酒の消費量が減少傾向にあるため、新規参入を認めると既存の酒蔵の経営が厳しくなるという考え方が背景にあります。
私も素人なので、素人がコメントすること自体が憚られますが、じゃあ若い人が起業できないのでは?と感じました。
岡住氏がクラフト酒を作っている理由もここにあり、これは現在の法律を変えるしかないとのことでした。
私も地元に帰ってくる時に、地元に人に言われた言葉があります。
「長いものに巻かれろ」
なるほど、日本は結局いつまで経っても昭和のまま。
変わったと言っても、一番力を持っているのが50、60、70代の方々。
なるほど。なるほど。

そして、今彼らが目指しているのは、男鹿を日本酒特区にするという計画である。これは、日本酒業界を根幹から変えるような大革命である。
話の全てを理解しているわけではないが、話を聞いていてワクワクした。もしこれが認可されたら、Brooklyn で日本酒を作っている方々が男鹿にお店を出すかもしれない。
私の海外の顧客も日本にもっと興味を持つかもしれない。この秋田でこんなワクワクすることができるのかと、本当に感心するしかなかった。
秋田銀行が無担保で6億以上を融資するのもよくわかる。
私は絶対に将来何があっても、「だから言ったじゃない。」「成功するとは思ってなかった」「秋田以外の人だから」「そもそもできっこなかった」
こんな発言は絶対にしたくない。日本、特に、地方の人は失敗した人を小馬鹿にする。自分は挑戦してもいないくせに、失敗を嘲笑う。そうは絶対になりたくない。
だから、INE TO AGABEには、そんなやつらを見返して、小馬鹿にもできず、ぐうの根も出ないほど、そして、手の届かないぐらい成功をしてほしいと切に願う。
そして、そんなシンデレラストーリーを、今の若い人は見てみたいと思う。

「何もないことを悲観しない」

これを聞いた時に、自分の海外からの顧客からのコメントを思い出した。
秋田には魅力がいっぱいである。また訪れたい。
何が楽しくて、秋田に来るのか。最初は理解ができなかった。
でも送られてくるGoogle Mapsのリンクは、20年近く住んだ地元のはずが
知らない土地ばかりであった。
また、Instagram のShortで撮影される有名観光地には、ほぼ行ったことがないかった。
私は「秋田」というところに生まれたのだが、生まれた時から東京に行きたいと思っていた。
中学校になることには、こんな何もないところには絶対居たくない。絶対東京に行くと決めていた。
そんな私が「秋田」で起業したわけだが、非常に人生とは滑稽なものである。
ネガティブキャンペーンではないが、私は「秋田」には何もないと思っていた。
正直、現在もそう思っている。
このマインドを変えないといけないと岡住氏は言っていた。
無ければ作ればいいと考え方である。
これは素晴らしいと思った。

どうせ死ぬ、利他であれ

これは、岡住氏の座右の名であるという。
人はいつ死ぬかわからない。今日かもしれないし、明日かもしれない。
10年後かもしれないし、30年後かもしれない。
自分で命を断つ以外、コントロールできないのがこの死である。
人に感謝してもらう、他人の利益をどこまで考えることができるか。
稲盛和夫の名言が思い浮かんだ。
「人生はつまるところ、「一瞬一瞬の積み重ね」に他なりません。今この一秒の集積が一日となり、その一日の積み重ねが、一週間、一ヶ月、一年、そしてその人の一生となっていくのです。」
つまり、ホリエモンの打席に立ち続ける。に帰着するのである。A=B, B=C