能登半島地震復興支援

能登半島地震復興支援
2024年が後半あまりの忙しさに最も大切である我が社HPの更新が全くできなかったという。。。
ただ、どうしてもこの内容は過去に残したいと思ったので、ブログに残させてください。
詳細に関しては、下記YouTubeに残させて頂いておりますので、お時間のある方は是非🙏
能登半島地震の復興支援に行くことになった経緯
不動産鑑定士業界に入ってから、当然未知の世界であるわけなので、色々と気付かされることしかないわけですが、この業務は不動産鑑定士業界の業務の一貫で行ってきました。
実は、令和5年なので2023年ですかね?の7月にとんでもない量の雨が秋田で降りました。
この時は、秋田駅前が水没したり、私も契約中のマンションが床下浸水するなど、大変な思いをした自然災害がありました。
この時、秋田の不動産鑑定士協会では、「五城目町」というところで、復興支援+住家被害認定という業務を行なっていたのですがまだ業界に入りたてで情報が今ひとつ掴めず、、、かつ、宅建講師業で多忙を極めていたため、参加できませんでした。
いつも優しく声をかけ、悩みの相談になって頂いている不動産鑑定士の千田先生は、この住家被害認定に関して秋田県と架け橋となっている方で以前から、何か災害があったら是非参加してみてほしい旨、温かい言葉をもらっていました。
なので、参加できなかったというのは非常に後ろめたさもあり、能登半島を支援すると不動産鑑定士連合会(協会みたいな団体)が決めた時は「ここで行くしかない!!」と心を決めていました。
きちんと行くのは初めての石川県
実は、動画では1回目しか上げていないのですが、実は、現地の支援に2回行っております。
1回目が4月、2回目が5月ですかね。
車で通ったことがある程度の石川県だったので、きちんと行くのは初めてでした。
1回目は動画の通り、秋田県から大宮経由、富山駅。そして、レンタカーで2時間かけて宿舎に行きました。宿舎は、映像でもでてきました航空学校石川です。
本当に学生のような生活で1週間頑張ってきたわけですが、アパ生活に慣れてしまった私、かつ寮生活をしたことない不安から、すごいところに来てしまったなと思いました。ただ、個室があるだけでも贅沢ということに現地入りしてすぐに気づきました。体育館では、簡易テントを何100個も並べて、支援に来られた方々が寝ているわけです。また、石川県や他の地方自治体から来た、公務員の方々もです。お部屋は臭かったですが、暖房があり、ぐっすり寝ることができたことが自体有難いと思いました。
陽気な天気と倒壊現場のコントラスが強すぎ
私が1回目行ったのは4月だったので、ちょうど桜が満開の時期でした。
外は満開の桜が咲き、春めいた天気に、志賀町へ行く運転も軽やかでした。ただし、現地に行ってみると、基礎から丸ごと壊れている家や、「全壊」といって、ほぼぶっ壊れている家が街のあちこちにある状況を目の当たりにすると、陽気な天気と倒壊現場というこれまたコントラストの効いた映像が目に飛び込んできました。最初に一緒のグループになったのは、税務署の方や、建築課の方など自分よりも和歌方々で、これはもう仕事ができる方々ばかりでした。私は、研修を受けていたといはいえ、現場が初めてだったので、初日は付いて行って、覚えるので精一杯でした。とはいえ、不動産鑑定士として派遣されているので、そんな新入社員のような戯言を言っている暇もなく、次々と判断を委ねられました。
業務の内容は、どのくらい壊れているかというのを、建物の外観、実際に室内に入って1部屋1部屋被害状況にレベル分けをしていくという業務です。ただ、国土交通省が定めて一定のガイドラインがあり、それに則り判定を行なっていくわけですが、この判断が非常に難しい。。。。。と感じました。
「大変勉強になりました」なんて軽々しく言えないと思った、それは、、、
実際現場に言ってどうだったの?と良く聞かれます。
当然、今後災害があった際にすぐ現場入りでき、判定方法、計算方法、これまでの現場の戦歴が生きることは間違いないです。
ただ、現地では「勉強になった」みたいな軽々しいことは決して言えないと「私」は思いました。
勉強させてもらいに行ってるわけじゃないし、被災された方からしたら、一円でも多く補助金を出して欲しい。あんたらの今後の経験なんて知ったもんか、とりあえずこの家をなんとかしろ!と私がもし被災したら思います。なので、「勉強になりました」「いい経験になりました」とは、「現地」では言えないと感じました。
石川の人の明るさに、逆にやる気をもらった
志賀町、珠洲市、輪島市。この3つに私は2024年派遣されました。一緒に働かせてもらった県職員の方、役場の方、地元の方。こんなに大変なのに、外から来た私を暖かく向かい入れてもらって、なんとも言葉にならない気持ちとなりました。特に、一番最初の志賀町の役場では、休みなく勤務されている住家被害の責任者の方、その部署の方々に尊敬の念しかありません。
石川弁ですかね?イントネーションが本当に心地よく、忘れられない思い出になりました。
未来の災害に向けて
災害がないのが一番ですが、仮に災害があった場合は、他の業務との兼ね合いもありますが、極力参加したいと思っています。
2024年は合計で10日間、被災地支援を行いました。行った後は、結構疲れてしまって、もう当分行きたくないと思いましたが、自分にできること、会社としてできること、を考えたときに、この被災地支援は非常に重要な業務だと思います。